荘子が言った言葉です。
悟学の澤田です、
視乎冥冥 めいめいにみ
聴乎無聲 むせいにきく
と読むそうです。
どういう意味かご存じですか?
この意味を知ることで、
普段、こだわりを持ちすぎている
物事に固執してしまう
人の話をしっかり聞けない
うわべだけに誤魔化されてしまう
ということを改善できます。
物事の見聞が広がり
自分の見方に固執せず
人の意見もしっかり聞いて
見えてる物だけを信用せずに
物事の本質を見る目ができてきます。
視乎冥冥
視乎冥冥には、
実は、こういう意味があるそうです。
私たちは目に見えている物が
すべて正しいと思っていますが、
私たちの目に見えているのは
宇宙全体から見れば
ほんの一部だということ。
私たちの目で見える波長は、
下界はおおよそ360nm、
上界はおおよそ830nmです。
それより下が、紫外線。
それより上が、赤外線です。
なので、
紫外線から赤外線の間しか見えず、
それ以外の光は
全く見えていないのです。
聴乎無聲
また、耳も同じように、
人間が聞こえている周波数は
限られています。
下は20Hz程度から、
上は120,000Hz程度までの間
だけが聞こえます。
若者は、
年配者には聞こえないモスキート音が
聞こえると言われていますよね。
同じように、
年配者が聞こえていないように、
若者にも聞こえていない音の周波数が
たくさんあるのです。
これらのように、
私たち人間が
見えてると思っていることだけが
全てではない。
私たち人間が
聞こえていることだけが、
全てではない。
だからもっと、
「目には見えていない宇宙の姿を見て
耳では聞こえていない
声なき宇宙の声を聞きましょう」
ということを教えてくれているのが、
視乎冥冥 聴乎無聲
(めいめいにみ むせいにきく)
なのです。
私はこの言葉の意味を聞いたときに、
常々思っていたことを
思い出しました。
それは「錯覚」です。
同じ長さの線なのに、
長く見えたり、短く見えたり
まっすぐな線なのに、斜めに見えたり
線がグニョグニョ動いたり
という錯覚です。
錯覚とは、脳が自動的に補正して
そのように見えるようにする
作用です。
なぜ、そういうことが起こるのか?
私は本質的な観点から
考えてみました。
人は、目からの情報を
最も重要視しています。
約80%を視覚情報に頼っています。
私が錯覚について考えたのは
次のようなことです。
「見えるているからといって、
目に見えている物が
全て正しいわけじゃないよ」
錯覚はそれを教えてくれていると
理解していました。
同じことが耳にも言えそうですね。
「聞こえていることだけが、
全てではないよ!」と。
エネルギーを感じる
私たちは今まで、
ほとんど五感が正しいと思って
生活していました。
それだけでは、
やはり限界があります。
そして、
実際に起こっていることの一部分しか
感じ取れていないということを、
もっと認識した方が善さそうです。
私は、氣功をやり初めてから今まで、
エネルギーを感じるということを
してきました。
そのおかげもあり、
物のエネルギーや波動を
感じることができます。
これも人間誰もが本来が持っている
1つの物差しです。
この物差しを使うと、
物の善し悪しが
感じただけで分かるようになります。
感じ方は、少し教えてもらえれば、
誰でも感じられるようになりますし、
繰り返し感じていれば
どんどん物のエネルギーや波動が
感じられるようになります。
感じ方を簡単に説明しますね。
感じる方法は、
手のひらで感じます。
手のひらの力を抜いて、
スマホやテレビのリモコン、
机やお皿、何でも善いので
エネルギーを感じてみましょう。
その物から
2cm~50cmぐらいの間を、
手のひらを上下させながら、
エネルギーを感じてみてください。
シャボン玉の暖かさを感じるぐらい
微妙なものを感じる氣持ちで
取り組むと善いでしょう。
是非、今すぐ何か物のエネルギーを
感じてみてくださいね。
それによって、きっと、
今まで以上に
見えるものが増え
視野が広がっていきます。
いろんな人の話が
聞けるようになっていきます。
あなたのこだわりや、執着も
どんどん手放せるようになり、
本質的な見方ができるように
なっていきますよ。
今日も
長い文章を読んでいただいて、
本当に
御御氣担(おおきに)でした。
また、次の記事を
楽しみにしていてください。
悟学(さとりがく)の澤田でした。